《まえがき》 (調整中)
2013年4月
「脳脊髄減少症」の治療法である
「ブラッドパッチ」、二度目の施術を受けた僕は、一度目ほどの大きな効果が期待とは裏腹に得られなかったことに気づいた。
既に気圧変動がこの病に大きな影響を及ぼすことを体感していた。
たまたま、Facebookで知り合った松本の方からの山肌に咲きみだれる桜の投稿者写真を見て、かつて5年間学生時代を過ごした晴天率の高かった信州松本へと旅だった。
西多摩での、夏の厳しい天候急変から逃れるために。
だが、修験道と称し始まった松本での療養生活は思わぬ展開になった。
自分の脳修復作業の日々はは、古代史からの見直しという深淵な世界へと引き込まれていった。
前期まえがき
平成成25年(2013)5月8日晴天、家族に黙って家出をした。
症状緩和のための投薬治療のため通院し続ける心療内科の診療後、車を中央自動車道へと向けた。
途中まだ「世界遺産登録」前の富士山が初雁P.A.から眺めることが出来た。
トイレが短いのとくたびれやすいので休み休みのドライブだ。
好天にも恵まれ、三十数年前に学生時代の研究フィールドだった八ヶ岳も勇姿を見せてくれた。
標高900mにある八ヶ岳P.A.は、必ず停車すると言ってもいい。
舞茸天ぷら蕎麦とソフトクリームを食べて少し昼寝をした。
この病気になる前ならば、一度休憩くらいで松本まで3時間もかからないのだが…
滅多によらない諏訪湖S.A.でもスタバった。
松本インターを降りるとすぐ、市営アルプス公園へと向かった。
目的は、残雪の北アルプス常念岳(2857m)を観ることと、松本での体調を確かめることだった
北アルプスが眺望出来るアルプス公園は、八重桜が満開で、山肌には常念坊の雪型が現れていた。安曇野は田植えの季節を迎えようとしていた。
夕食は,大学から近い学生時代に時々通った山賊焼き定食屋の「源太」でとった。
ゆで卵とレタスが付加されていた以外あの頃と何も変わっていなかった。
2年間世話になった旭町の間借り住まいも改装されいたもののほぼそのまま遺っていた。
街並みは大きく変貌したところもそうでないところもそれなりの品格を見せてくれていた。
前日から用意周到に楽天トラベルで予約していた駅近くのホテルに戻るとベッドに横たわった。
朝から切っておいた携帯電話の電源を入れると、その頃家では大騒ぎになっていた。
中期まえがき
翌日、旧制松本高校跡地、旧信州大学文理学部、元信州大学理学部思誠寮の在った、「県の森公園」の「旧制高校展示館」を訪れた。
「真剣にバカをやれ…まっしろになれ!!」、
この展示にハッと目が覚めた。
『そうだ、この地で今一度バカを取り戻そう!』と…
この展示にハッと目が覚めた。
『そうだ、この地で今一度バカを取り戻そう!』と…
それから、「お城」の堀端に立ち、再びこの地に独りで暮らす覚悟を堅めた。そして昨日ひどく心配と迷惑をかけた同級生の床屋夫婦のために、「マサムラ「のベビーシュークリームをお土産に帰途についた。
家に着くと松本での自分の容態、決意を家族に話し説得した。
そして、インターネットで見つけた格安貸家の不動産屋さんに早速アポをとった。
バカは着々と進んでいた。
後期まえがき
5月20日物件を見るために、家内と松本行きの特急「あずさ」に乗った。奇遇にも車掌は、僕が昔やっていた「寺子屋塾」での教え子だった。
一件目は、立地が悪く却下。
二件目の浅間温泉の二棟二軒続きの3DK駐車場付一ヶ月36000円の長屋に落ち着くことにした。
一通りの説明を受けた後、夕方訪れたお城からの風景は格別だった。
希望と不安が交錯するにふさわしい情景が、日没後も続いていた。
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