・とてもおおざっぱな日本の「神さま」たちの「最先端」系図
「カゴメカゴメ籠の中の鳥はいついつ出やる。夜明けの晩に鶴と亀がすべった。後ろの正面だあれ?」
近所の子どもの「遊び唄」もバカにできないのだ。
籠→竹の龍→中国大陸
酉→西→済→百済
夜明けの晩→虎刻→百済
鶴→北方系民族(アルタイ人他)
亀→南方系海族(安曇族他)
後ろの正面→朝鮮半島
まあ、サルとかイヌとかツル、カメ、ウサギ、はてまた大蛇や鬼畜生なんて、馬鹿にしあったりしないで、元々はみんな一緒だったんだから、人間同士まぜてあげて、もらって輪になって、楽しく歌って踊りましょうよ!
と言う、クダラない論文でした。
めでたくないが、とりあえずこれでおしまい。
【付録・余録】
・日本神話の神々の系図(wikipediaより)
古事記や日本書紀を元に、江戸時代に国学者らが解読したというこの系図。
今私が違う視点から新たに読み替えて解読できた部分だけ、目印を付けておこう。後期のために。
私の力だけで、さらにすべてを読み替えるのはとても大変な事なのだ。
■ピンク:今期、読み換えができていると思われる神様
■黄緑:重要な暗号のしるし
■黄色:後期キーワードになるだろう重要な神様
・なぜ大=オホ、オボがアルタイ人なのか?
まず地球を逆さまから見てもらいたい。この見方をする宗教の教祖は「オサカサマ」なのだ。(天才バカボンより)
地球の南半球では、あたかも「西からのぼったお日様が、東へしずむ」のだ。
私は過去に「モンゴル人民共和国」に三度訪れている。
最初の二回は単なる観光ではなく、モンゴルを本部とする「アジア仏教徒平和会議」の招待VIPのカバン持ちであった。
三十年前当時、新潟から飛ぶのが一番早かった。
一度目は、1982年の大韓航空機撃墜事件の直後だった。ソ連への入国ビザは新潟空港でなんとか間に合ったが、モンゴルへの入国ビザがやっと取れたのは、シベリアバイカル湖畔のイルクーツクにある日本領事館だった。
新潟からは、ボーイング727でハバロフスクへ飛んだ。ミグ戦闘機と同居する空港内は撮影禁止だったが、銃を背負った警備兵は「俺が見てなけりゃいんだよ」と。その日の夕方、私は監禁状態に近いホテルを抜け出し、アムール川のフェリー乗り場まで一人出かけた。川面にきらめく夕日に向かってカメラを構えていると、後ろから流暢な日本語の老人に声をかけられた。シベリア残留日本兵だった。既に彼にとって祖国はシベリアだった。
・天津系、国津系とは?
アムール川と黒竜江は同じ川である。ロシア側からはアムール、中国側からはコクリュウ。津とは渡場(トバ)の事だ。
しかしこれらを読み替えると、アムール=天降る(アマフル)、黒龍=高句麗(ゴグリョ)となる。
「天津系」とはアムツでアムール川の渡場。だからその河口より北寄りから渡って来た先祖で「アムール系」。
「国津系」とは高句麗の渡場。すなわち黒竜江河口より南近辺から渡ってきた先祖で、「高句麗系」と解釈出来る。
こうすると今までの、天から降りて来た神が天津(アマツ)で、元々日本列島にいた神が国津(クニツ)という説を覆すことになってしまうのだ。
だからなにも「日本神話」そのものを否定するまでも無く、解釈をこんなふうに転ずるだけで、いわゆる「倭国」成立のほとんどの謎は解けて整合性がついてしまうと思う。
シベリアには様々な民族が未だに生活している。「ブリヤート族」の多いバイカル湖東岸「ウランウデ」近郊のイボルガ寺というチベット仏教寺院に泊まった時、私達の宿坊の部屋係のブリヤート娘は、インディアンのようでもあり蒼灰色の大きな二重のまぶたで、手足の長い長身の美女だった。まさに、男を惑わす女王の風格だった。(彼女のフィルム写真が見つかったら載せましょう)なお、「ウランウデ」の街は日本人シベリア抑留兵が建設にたづさわった。もちろんそこで命を落とした大勢の日本人の墓地もあった。
シベリアからモスクワ、レニングラード(サンクトペテルブルク)までのお付き役で、「モスクワ大学」出の秀才、日本語ペラペラでお調子者のユーラという青年もまたブリヤート人の混血だった。
二度目はその数年後、ソ連崩壊寸前のゴルバチョフ政権時代に。既にエリツィン人気が高まっていた。
前回同様私達の案内役のモンゴル人二人は、元横綱「朝青龍」やチンギス・カンとは似ても似つかない人たちだった。
そのうち一人は、トーラさんという黒髪で黒い小さく円らな瞳の小柄な女性。レニングラード大学で日本語を学んでいた。もう一人はバツーフさんという痩せた小柄な男性で、英語が話せる。青灰色の二重の瞳で高い鼻だちの人だった。もうすでに顔見知りだったから、「バツーフさんは、なぜあんなに容姿が違うのか」と訪ねると「彼は山岳民族の『アルタイ族』なんです」とトーラさんが教えてくれた。
既にモンゴルへは日本企業が編み機の技術提供をしており、お土産は旅行トランクにギッシリ詰めた大量のカシミアセーターだった。
今思えば、我々のVIP旅行は冷戦時代のソ連の「宗教」政略であり、モンゴルへの日本の技術提供も「先行投資」の国策だったのかも知れない。
三度目は、1991年(平成3年)の新婚旅行だった。既にソ連は崩壊しており、モンゴルへは北京経由で空路わりとたやすく入国出来た。その時、観光で訪れたゴビ砂漠の南縁、中国「内モンゴル自治区」との国境付近には、「ゴビアルタイ」という山脈が連なっていた。その光景は、学生時代に見た北アルプス槍ヶ岳の「槍沢」そのものだった。
松本、安曇野には蒼い瞳の人が多い。灰色や緑がかった灰色、茶色も。日本人全体を見ても様々な瞳の人がいるが、この地域は特にいろいろな容姿の人が多い気がする。モンゴルやシベリアで会った人々や風景そのものが、ここにも遺っているのだ。
私の病気の原因は「スキーキチガイ」だ。オーストリアのスキー場に二年連続で行った。ザルツブルク州のバドホフガスタイン。温泉が湧き、ナチスの金鉱山があった。ヨーロッパアルプスの小さな村に世界中からスキー・温泉保養観光客が来ていた。メインゲレンデの名は「シュロス・アルム」(高原牧草地の城)という意味で、レストランに変身した小さな古城のある村だった。そこにもまた、いわゆるヨーロピアンとは違った、黒い髪の蒼い瞳の人達が現地民として住んでいた。オーストリア
フラッハウ出身名スキー教師、故マルティン・グガニックがその代表と言っていいだろう。彼は生前、毎年のように白馬八方尾根スキー場に現れ、最新のスキー指導法を伝授していた。しかもその日本語はとても流暢だった。どんな条件の斜面にも果敢に挑み、素早い判断で華麗に滑り降りるあの姿は山岳民族「アルタイ人」「タタール人」そのものだと思う。
・「高天原」とは、「葦原中国」とは?
高天原とは、シベリアのアムール川=黒竜江(高句麗河)流域の平原を指すと思う。
そこから渡ってきた人達が、先祖の土地を「アマフル」 「アムール」 「コウクリ」 と呼んでいた。
そのコウ(高)とアマ(天)が漢字に置き換わって「高天原」となったのではなかろうか。
シベリアから臨めば、日本列島の真ん中は松本盆地であり、葦の生い茂る豊かな山国であったはずだ。
だから、葦原中国は「信濃の国」に行き着くはずだ。
・「天尊降臨」とは、
天尊
↓↓
降臨と並べて見るといい。そして、左から縦に読むのだ。モンゴル語は左から縦書きなのだ。
天降る尊臨む。「アムールから高い山を臨む」と読んでみたら面白い。
なにも「大和言葉」とか編み出さなくても、難しく考える必要はないのだ。
バカボンのパパでいいのだ。これでいいのだ。
・「三種の神器」について
剣: 刃物であり金属の象徴。人間がナイフとして石器を創造した時からの重要な生活必需品の道具。
鏡: 光通信の道具であると考える。古代も現在も人間の行っていることに変わりは無いのだ。
勾玉: 最初は何かに使われた生活必需品であったはずだ。それがやがて装飾品になりしだいに神格化しで「勾玉」になった。
これも後期にしよう。
すべからく、人間が祭祀(まつりごと)に使ったり飾ったりする物・行為(荘厳)には、我々が過去から現在に通じて生活において絶対に必要とする物事が象徴化され神格化されているのだ。その事実を直視せずに「魔鏡」などという幻想は、捨て去らねばならない。
それほど、我々には食べて生きて子孫を残す行為が大切なのだ。
王あっての民ではない。民あっての王なのだ。
「今は『ないもの』について考えるときではない。
『今あるもの』で、何ができるかを考えるときである」
アーネスト・ヘミングウェイ
Now is no time to think of what you do not have.
Think of what you can do with that there is
※写真 天才バカボン最終巻より 「邪馬台国も卑弥呼もその時代に行ってみないとわらかないのだ。」
とりあえず、今の自分に出来ることはここまでである。
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