1.フィールドノート 201306~201402 (フィールドノートとは、野外観察で使う記録ノート「野帳」)
                             ※20140101は、2014年1月1日を表す記述法
     

20130603

 妻に同伴してもらって自家用車で引っ越しをした。

















 友人に電話したら「火山でないのに、なぜ浅間と言うのか?」聞かれた。
 が、その時『アサマ』については、あまり深くは考えなかった。火山を意味するアイヌ語の事ぐらいは調べていたが…


20130603

 買い物に行った。
 その後、妻はひとり電車で東京へ帰った。






20130606

 温泉の共同浴用に引っ越し後初めて行った。
あまりの熱さにびっくりして、すぐに出た。 まともな寝床もやっと確保できた。



20130607

 自炊も始まった。人間らしい生活になってきた気がした。



20130611~18

 近所の人達はとても優しい人ばかりで、病気のことも理解してくれてとても有り難かった。
 ここの住人たちに採れたての野菜を配ってくれる大家さんの奥さんは、いつもニコニコしながら「今日を楽しみましょ」と語るのが心嬉しい。
 部屋の整理に追われながらも、近所を散策した。



20130613

 仏間にヘミングウェイの没後50周年の本を祀ることにした。
 遅々として部屋の整理は進まず。また、浅間温泉を散策。
 「アルプス蕎麦」で小さん師匠の色紙を発見。「他抜き」と狸のかけことばでそば屋を褒めていた。



20130620

 
 学生時代に時々行った「史温」(シオン)で定食を食べた。
 おばちゃんは健在、味も変わっていなかったが、お店の場所が変わっていた。
















20130625

 車で少し遠出。美ヶ原温泉、山辺から三城牧場(サンジロボクジョウ)を経て美ヶ原ドライブ。
 入山辺の赤い崖は学生時代のクライミング練習場だった。5m程滑落した覚えがある。
 昔バイトした三城牧場の山荘を見て扉温泉にでも浸かろうと思ったが、林道は閉鎖されていて思わぬ長距離ドライブになってしまった。
 武石林道→美須々湖→浅間温泉。山道を50km以上も運転できる自分に驚いた。
 


20130703


 「松本民芸館」見学。
 たぐい希な美的感覚と器用な技を持った人達が多かったんだなと思った。


20130709

 美ヶ原 王ヶ頭(オオガトウ) 2034m 「初登頂」(病後)
ただし、駐車場 1890mから高低差144m 往復約2kmの幼児でも歩ける所をストックを突きつきアルピニスト気分。
 乗鞍岳、北アルプスはもちろん、木曽御嶽山やの摩利支天が拝めた。おびただしい石像の立ち並ぶ山頂は、かつて修験道の聖地だったと思った。
 今は、情報発信の電波基地。宇宙に繋がる「ガミラス基地」と名付けた。でも美ヶ原はやはり「ウツクシガハラ」だった。









20130710

 金峯山 牛伏寺 (キンポウサン ゴフクシ)゙ フランス式階段段溝(カイダンダンコウ)を見て、 崖の湯温泉(ガケノユ) 「茜宿」(アカネジュク)でに帰り入浴。

非常に鉄分の多いぬるめの湯だった。
客はほかにいなく、貸し切り状態だった。





20130711


 信州大学の学生食堂「旭会館」に潜り込んだ!
 と思ったら、誰でも自由に利用できるようになっていた。















20130723


 松本市立中央図書館で昼寝をした。何を読んだかよく覚えていない。
















20130725

自転車でお城の市立博物館にった。途中岡宮神社に参った。
松本で零戦特攻隊の最後の飛行訓練が行われていた事を初めて知った。

特攻隊員の一人の母宛の遺書には
「人間は、人間がこの世を創った時以来少しも進歩していないのだ。
今次の戦争には、もはや正義云々の問題はなく、ただただ民族間の憎悪の爆発あるのみだ。
敵対し合う民族は各々その滅亡まで戦を止めることはないであろう。
恐ろしき哉、浅ましき哉人類よ、猿の親類よ」
と書かれ、見事に戦争の愚かさを見抜いていた。

彼らは最期の一ヶ月を浅間温泉で過ごし、横田の遊郭に通ったと、お隣りの元芸妓さんから聞いた。
宿代は部屋の鴨居の額の裏に隠していた米で払い、鹿児島へと飛び去って行ったという。
道祖神の原型が「おまらさま」という男根であった事も知った。





帰りに信州大付属病院5階の『アルプス展望食堂』(ソレイユ)で昼食をとり、病院内の市立図書館「こまくさ分室」で「天才バカボン」との劇的再会をした。
 このギャグ漫画が、その後重要な役割を果たすとは夢にも思っていなかった。














20130731


 浅間温泉の松本市立「本郷図書館」(ホンゴウ)でヘミングウェイの短編集に読み疲れ、温泉科学の本に目を移した。
温泉には、本物と偽物がある事がよくわかった。その後の入浴の指標となるありがたい本だった。

このプレートが信州では一応の指標になるが、他県では「天然」という言葉は、本物を示してはいないことがあとでわかった。
















20130802


 スーパー「アップルランド」桐店に行った。
 お盆用品がなんとも面白かった。















20130803

 「松本ぼんぼん」を見ようと自転車で街へ出た。途中「ドンボスコ幼稚園」を偶然見つけたが,、長男が出た「サレジオ高専」(元育英高専)の母体サレジオ会系ではなかった。
 女鳥羽川(メトバガワ)沿いのお祭りの人混みに絶えきれず、すぐにひと気の無いお城のベンチにに逃げて帰った。


20130804


 朝湯への道の玄関先で立派な蓮が咲いていた。鉢植えで丹精込めて育てたようだ。






20130806

 暑い日は本郷図書館でヘミングウェイを読んでは昼寝。
 ブツブツつぶやきながら調べ物をするおばさんが耳障りだ。
 本郷小学校の児童の七夕飾り

 


20130807

 信大病院に潜り込んで暮らす。10階にもレストラン発見!富士山も世界遺産に認定され、天才バカボンも順調に進む。



20130809


 ひどく暑いので、美ヶ原の駐車場(1890m)で車の中で涼む。夕刻「松本城薪能」があった。疲れたからもうやめようと思ってたら、家内から電話がありハッパをかけられてなんとか出動。
 中盤から観た能のお題は「羽衣 和合の舞、小鍛冶 黒頭」
 とにかく観て良かった。夢のようだった。生きてそこに座っている自分に涙が止まらなかった。
 隣席で謡曲をうなる、やけに詳しい男性は、飛騨高山から車を飛ばしてきたと…












20130811


 飛騨高山の「森たくみ塾」で木工職人修行中の長男が、夏休みで来た。運転させて、小県郡青木村『大法寺』の国宝三重の塔「見返りの塔」を見せてやった。
 長男が「二重垂木の二重目の材が細い」と指摘した。この塔の美しさの一因かも知れないと思った。
 後で調べたが、まだどこの解説にもそのような事は載っていないようだ。













201308

 ご近所から、安曇野で採れた美味しい野菜やおやきや松本名物「辛子いなり」をいただき、乞食生活満喫。自炊も電子レンジの達人の域。時々記憶が飛んでしまうので危険なガスは使わないのだ。



 ※いつまでもハイライトに行かないので…ブッ飛ばします!


20130908
 
ヘミングウェイの「武器よさらば」の再読を本郷図書館で始めた。
読書なのか、涼みながらの昼寝なのか物語りが先へ進まない。




















20130911


 前日家内が東京から、長男が高山から訪れ、久しぶりに家族3/4が松本に集結。安曇野観光をした。
 学生時は山登りで素通りしていたは「有明山神社」(アリアケサンジンジャ)に参った。
 プチ東照宮とでも言おうか、その威厳の嵩い事に驚いた。
 不思議にもここの境内では体調が非常に良かった。
 












20130103

 浅間の火祭り(たいまつ祭り)浅間温泉「御射神社」(ミサジンジャ)の宵祭。街全体が火の山と化した夜。



20131004



 「御射神社」の本祭。
 ススキの穂を飾った御輿(ミコシ)が練り歩くが、前夜と打って変わって境内には関係者以外ひと気が無い。
 神事を見て驚いた。玉串奉奠は、肩書き年齢身分問わず順不同で献げる。御神酒も全員が一つの輪になって頂く。まるで、狩猟民族の平等な原始共同体ではないか。
 御輿を担ぐのは信州大学の学生たち。なぜか女子学生が鉾を手にする。
 縁起物は「のっこば」から参りましたと書かれたススキの穂。町内一軒一軒に配られる。
















201310??
 
 長男が高山から訪れ、松本市並柳のシューマートに防寒長靴を買いに行く。
 
「あの山は何?」

 「古墳だよ。東日本最大級らしい」
  彼の驚く姿に、今までそこに行っていなかった自分に気づいた。
 『弘法山古墳』

 一人の若者の、あのたった一言が後に私を突き動かす動力源になろうとは、その時知るよしも無かった。



21031101



 松本市街地で一風変わった稲荷さんを発見!
 なぜか、マユダマ飾りが… お稲荷さんと関係があるのだろうか?
 ど派手な道祖神も。「からし稲荷」も名物だ。何でもありだ。
 「美しいものが美しい」美味しい物が美味しい松本だ。

 街にはもうクリスマスツリーが飾られていたが、アルプスの雪は昔より遅くまだだった。


20131106


 今期最後、三度目の美ヶ原登頂。間もなく冬期道路閉鎖。風強くも眺望良し。遠く富士山まで望める360度の絶景に惹かれ、かなり歩いてしまった。行程9.5km高度差350m。片足を引きづりながら林道を下山するも、気力と体力に自信がついた。
 松本平を見下ろす王ヶ鼻の中部電力の電波通信反射板に、古代にももしや鏡を使った光通信が存在したのではないかと思った。


























20131114

 閉山前日、上高地に行った。
 穂高神社本宮の明神池まで歩かねば、単なる「観光」だと自分に言い聞かせ、ストックを突きながら歩いた。
 先日の美ヶ原の二の舞は踏むまいと、スポーツ用ボディースーツに身をかため筋肉を守った。
 上高地が神降地でも上河内でもあることを初めて知った。行程7km高低差150m




20131120 


本郷図書館にてヘミングウェイ「武器よさらば」読書のつづき。

 第一次世界大戦最中のイタリア戦線。オーストリア軍の大攻勢で撤退避難を余儀なくされ、幹線道路の渋滞を避けて輸送トラック部隊を旧道の裏道に入れた主人公ヘンリーが
『威厳があるのは様々な地名だけだった』
 とのつぶやきが、なぜかとてつもなく心に突き刺さった。







20131121
 再び安曇野を訪れた。信州大受験の最後の決め手となったNHK朝ドラ「水色の時」道祖神を拝み、雲の中の常念岳に向かって自分の行く末を念じた。
 夕方、もう帰ろうと車に戻ろうとしたその時、「常念岳」が雲間から顔を覗かせてくれた











20131201

 飛騨高山の長男が、名古屋から来たサレジオ高専の同窓生と遊びに来た。
 浅間温泉裏の御殿山に登らせ、スマートフォンの画面を鏡に見立てて登頂確認の光通信を行った。まるで忍者ごっこだった。
 学生時代に北アルプスの爺ヵ岳に登ったとき、向かい側の立山剣岳から光を放つのに気づき、缶詰を鏡に応答した事を思い出した。
 やはり、古代人は鏡で光通信をしていたと確信した。










20131201

 飛騨高山の長男が凍結路でスリップして車を壊したため、私の車と交換に高山へと一泊の旅をした、試しにわざと遠回りして、前から気になっていた裏道の県道278号を通って安房トンネルへと向かった。
 途中、梓川沿いの交差点で見た「倭」という地名に仰天した。
 ヤマトと呼ぶようだが、ワなのかイなのかイイなのか。
 ヤマタイにも思えて、ずっと心に引っかかって仕方なかった。
















20131202

 この日歩いて見たこれが、深淵な世界への入り口だったのかも知れない。ただ事ではない気がしたのだ。「弘法山古墳」
 この地に文字通り、北アルプスを隔てて「ヤマト」勢力に対峙する一大勢力が存在したと直感したからだ。
 隣の尾根もそのまた向こうも、どこもかしこも古墳だらけなのだ。
 この古墳の主は「謎」と記されていた。
 謎は「ナゾ」のまましておくことなぞ到底出来ない。「信大魂」に再び火が灯った日だった。



20131219

 初雪になった。
 浅間温泉の「御射神社」は、まだ冬至だと言うのに松飾りが飾られていた。あたかもクリスマスツリーのようだった。
 なぜこんなに前から飾るのだろうかと…


20131230

 松本市街地の正月飾りを観察した。松としめ縄と幣が基本。松だらけで松しか飾らないのかと思った。しかし、しめ縄が奇妙だった。縄に垂れ下がるススキの穂のような物はいったい何なのか?


東京から進出したパルコはいわゆる門松で、松竹梅。お城の近く大名町付近の街灯の飾りには松に竹があるが、輪飾りあり、わらの馬ありで、なんか意味不明?




















20140102

 正月飾りを観察するために「初妄出」(ハツモウデ)と称し松本市近郊の神社巡りをした。
 松飾りだけかと思いきや、「須々岐水神社」(ススキガワジンジャ)の竹飾りにびっくりした。二本の御柱が本殿外側をまたぐ。
 ススキという寺が須々岐、須々木、薄宮大神、薄水神社。あまりの表記の多さが謎めいていた。
 大きな竹飾りがまるで七夕様のようだ。拝殿は東方の薄川源流「扉峠」(トビラトウゲ)を向って拝む。しかし鳥居をくぐって途中、拝殿に対し90度、   左北方を向く参道脇のさな祠が。なんと「大神社」(オオカミシャ;天照大神)と書いてあるではないか。しかもここだけが松飾り。
 右手南方向きには神楽殿。五角形の鉄平石が飾られている。左手には結界された「片葉の薄」。それっていったいどんなススキなのだろうと?
 それにしても、「薄川」、「須々岐水」、「薄宮大神」、いったいどれなんだ? なんて怪しげな神社だろう。
 片隅には『桜之宮聖徳大神』と書かれた「聖徳太子殿」?境内出てすぐ隣にはたくさんの剣が奉納されたひなびた「不動堂」もあった。


その後薄川を渡り、戦国時代の小笠原氏の山城「林城」(ハヤシジョウ)へ。5分登っては水分補給を繰り返した。



 大城跡にてしばらく休息しその後、大嵩﨑(オオツキ)の集落へ降りた。
 ここで見た風景は、本当に素晴らしかった。栗林の前のススキッ原の野辺にしばらくたたづみ、水分と空気を補給した。
 数少ないすれ違う人は、戦国時代の話しか語らなかったが、私はもっと遠い昔に思いを馳せていた。

 なぜか麻原姓だらけの墓地が気になる。

 

 「旧日本軍」の半地下秘密工場跡の脇を通って登り口へ戻る。
 

 備え付けの竹の杖と拾った松の枝、ススキの穂で自分なりの「正月飾り」をしてみた。



 里山辺(サトヤマベ)の「兎川寺」(トセンジ)は松飾り。

 惣社(ソウサザ)の「伊和神社」(イワジンジャ)も松飾り。
 

 境内を一回りすると、なんとあの市立博物館で見た「オマラサマ」(男根)の石で出来た実物に会えたのだった。
 それにしても、見事なケヤキとオマラサマだったこと。

 昼下がり、ようやく元町のガストで昼食にありついた。
カワった瓦屋さん?

 帰り道、松本市横田の「横田神社」。松竹…?
 この横田神社で見慣れない赤い実のついた常緑樹の飾り付けに気づく。なんという植物なのだろう?

 またしても。五枚の葉っぱの紋所。
 ここで力尽き浅間温泉へと帰った。


20140103

 今一度、「有明山神社」(アリアケサンジンジャ)を確かめようと安曇野に車で出かけた。
 「北海渡」(キタカイド)という北海道のような交差点近くのひっそりとした諏訪神社でまたびっくり。
 鳥居は正面の常念岳の方を向いていて、その先に小さな祠がある。しかし、参道途中で右90度向きに拝殿があり、北方を拝むように建てられていた。赤い実の成るあの常緑樹が飾られていた。木そのものも植えられてもいた。
 竹飾りこそ無かったが、前日「須々岐水神社」で見たあの七夕飾りのような紙幣もあった。
 外見とは裏腹に、拝殿内部はわりかし立派だ。また、あの葉っぱの紋所が。でも少し違う。



 「国営安曇野アルプス公園」で、地図を地球のN極、シベリア側から眺めることを学んだ。
 ここのエントランスのおかげで、上が地図の北であるという「常識」が「非常識」に転じた。
 
 
 昼食後、「有明山神社」に初詣。「茅の輪くぐり」は雪が凍っていて難所だ。目の前で滑る人。正月早々幾人もこけたらしい。
 先ほどの諏訪神社で見た、赤い実のついた常緑樹の名を「ソヨゴ」と宮司さんから教わった。
 宮司さんは、諏訪大社からの「派遣」のようだった。
 ソヨゴは雌雄別株で、有明山神社のものには実が成っていないとのこと。寒冷地に育たない榊の代用だと聴いたが腑に落ちなかった。。
 この神社にまつわる神話もあくまでも『宗教上のこと』という宮司さんが正直で面白い。
 「諏訪のことをトルファンだって言ってる人がいる」という私の話を一番面白がってくれたのは、神子さんだった。
 でも、宮司さんも「確かにこの辺には蒼い目の人が多い」と…
 神社の裏まで回ると本殿は無く、有明山そのものが神である事がよくわかった。

 浅間に帰ってから調べると、「ソヨゴ」はタンニンが多く含まれ、染色の必需品だった事がわかった。



20140106

 「カモシカスポーツ」(登山用品店)に偵察に行く途中、前から気になっていた「林城」隣の「広沢寺」(コウタクジ)に参った。
  山門の飾りは松飾りだった。本堂の門松は角がとがっていない。住職の姓は「小笠原」。
  もちろん江戸時代まで坊さんに名字など無かったのだが…


  広沢寺の真下右手に「武田家」を発見。まるで「小笠原」を監視する歩哨が陣取っているみたいだった。

 「カモシカスポーツ」へ向かう道の「千鹿頭神社」(チカトウジンジャ)は、松竹飾り。
 松と竹が同じくらいの高さだ。入り口は、ある理由から二カ所ある。



20140114

 夕刻お城に行った。ここにも「オマラサマ」(男根)があることに気づいた。ちゃんと水も出る。
 城内の市立博物館にはまだ門松が飾ってあった。しかし、繭玉飾り(マユダマ)がひときわ強調されているように思えた。
 だれもいなくなった真冬の日没、お城は紅金に輝いた。本の一瞬の出来事だった。
 子供の頃、傷口に塗った赤チンキを思い出した。



20140121

 東京では1万円以上かかると言われたソーラー腕時計の特殊二次電池交換を3千円でやってくれる松本の時計屋さん。
 早速メカマニアの友人に伝えると、くるっってしまった「ハミルトン」や落として動かなくなった「オーリス」ほか、スイス製時計や旧国鉄時計を預かった。
 自分のうちにあった100年以上も前の製造元不明の日本製懐中時計も、部品一つまでこしらえて二週間足らずで見事に復活させてくれた。
 しかも、一台あたり約1万円だ。改めて松本の技術力の高さに驚かされた。



20140203

 夜、街に出てみた。お城に沈む月を見て、月の運行は太陽よりもはるかに速いことに気づき改めて驚かされた。
 シャッターチャンスが、私の緩慢な動作に間に合わないのだ。



20140204

 「節分」の晩。浅間温泉の神社も寺も静かだ。近所から聞こえる豆まきの声は「福は内!」のみ。
 この地では、決して「鬼は外!」とはだれも言わないのだ。



20140205

 浅間温泉の一番近くにある重要な古墳を今の今まで見落としてたことに気づいた。
 それまで入り口が見当たらなかったのだ。
 「桜ヶ丘古墳」金銅制天冠という類い希な遺物が発見されていたが、パンフレットによると未だ謎のままだった。
 天冠は浅間温泉のシンボルマークにもなっている。
 改めて自分の愚かさにも気づいた。時間が無い。


20140207

 三度目の入院のため東京へ戻る日の朝、ようやく「桜ヶ丘古墳」に至った。
 何のことはない、毎朝通っていた「仙気の湯」の向かいの山だった。
 毎年2月17日の庚申の日に行われるだるま市の看板と昇旗でようやく入り口がわかった。猿田彦神社が祀られていた。
 その奥は、降旗家と書かれた大きな墓地。その上が墳墓だった。
 荒れ果てた墳墓には、古びた説明看板が。
 しかし、そこに重大な過ちが記述されていることに気づいた。が遅かった。
 もう時間がなかった。
 ここで今期のフィールド活動は終わった。
 大学北門近くの「美須々」(ミスズ)交差点を通って松本インターに向かい、車を一路東京へと走らせた。


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